madや違法スレスレ動画。アングラな雰囲気をかもし出すオタク向けのサイトニコニコ動画。それが今や大きな変貌を遂げていた。
そして――僕が見ていたのは”動画”では無く”商売”だった。
現在のニコニコ動画・最近の動画ではそう感じることが多い。これは非常に危機感を感じるし、それを懐古的な立場で批判する人も増えたそう思う人が増えたのは非常に悲しい事でニコニコ動画という部分から悪い意味でレッテルと貼る人が増えたのも確かだろう。今と昔ではニコニコ動画は全くの別物になった。そう言える理由はたった1つ。
【アンダーグラウンドとしての立ち位置を失った】
事に尽きるだろう。そして、商売というシステムが出来上がった故に一斉に有名になろうというオーディション状態と化してしまった。僕はこれに恐ろしい程の嫌悪感を抱いている事に気が付いてしまう。嫉妬とかではなく、教室の1室がライブ会場になる様な文化祭が毎日続いている気疲れとチラシを配り続けられる苛立ち。この2つが僕には非常に堪えるものだった。
僕が好きだったのはアンダーグラウンドの様な削除されるんじゃないのかという違法スレスレの動画が乱立したあの時代だ。陰陽師やネズミーマウス。遊戯王やらき☆すたなどの動画が非常に出回ってた時代だ。そして、著作権がどこまで通用するのか・コメント民が協力していた時代でもあった。いわば参加できる大きな教室でのドンチャン騒ぎだ。勿論先生に怒られれば削除されてしまう。そんなアングラな世界が僕は大好きだった。あの大丈夫なのか!?という挑発的な態度は今やすっかり無くなり、ユーザーや様々な人に媚びる世界になってしまった。あの時代は削除を怖がることなく突き進んだ黄金期の時代だろうと言える。madで再生を稼ぐより、今は公式が稼ぐ時代だ。いつの時代でもアマチュアの世界に大手が加わるととたんに”商売”へと変貌していく。
しかし、一番自分が怖いのはニコ動の投稿者がクリエイター様と言われる様な立場になってしまった事だ。そしてyoutubeもyoutuberと言われ、いつの間にか動画で金を稼ぐという事に変わった瞬間動画の価値は変わってしまった。
言わば動画が商売の道具になったのだ。それは、生放送やブロマが。ましてや歌ってみたもその商売として簡易的に評価される事になる。コミュニティーの一員になったユーザーは上手い下手という言葉を打ち込み評価する【小さな面接官】のようなシステムへと変わってしまった。それは、後にレッテル張りやアンチなどといわれる様になりスグにそのシステムは広まってしまった。残念ながら一般人も今や入ってくる為専門的な知識が無い人間がその動画に入れば【マナーの悪い単語やルールを知らない】事もざらにある為、NGコメントなどのシステムも追加された。
勿論動画のクオリティも上がっている。プロ並みに上手い人がニコニコ動画に宣伝をしに来ているのだからしょうがない。今や飽和状態の娯楽には、どこでもいいから自分を売りたい人が増えているのだろうと思う。誰かにちやほやされたいとか、注目されたい等の感情も今のネット社会では強くなってきた傾向がある。そんな人実は近くにいるのかもしれないが、ネットに囲まれているとその世界では発信者にならないと気が済まなくなってくる。僕もだがその気持ちは分かるつもりだ。
しかし、僕はニコニコ動画がアングラ的では無くなったということでも
著作権的に白になったかと言われれば疑問である。
元々僕は歌ってみたとか、作者や作り手を馬鹿にでもしているのだろうか?とも思える。普通歌ってみましたとか敬語でなければならないだろう。タグには歌ってみたとかの言葉があるがあれは実質間違いだ。よく歌下手王決定戦で下手なのにカッコつけて歌い、本物が出てきて怒られるような態度や歌い方としてのマナーがなっていないのではないだろうか?ちなみに違法かと言われれば。
一般ユーザーが音楽著作物をアップした場合にその動画のアクセス数などから得る広告収入など営業利益の約1.8%を著作権としてニコニコ動画やYouTubeがJASRACなどに支払っています。
という部分なのでおそらくセーフかもしれない。しかし、著作権のギリギリばかりな動画が非常に多いような気もしている。二次創作も著作権的には違法だし、儲けるという事を念頭に置いている人は結構な問題になってくるだろう。どの程度グレーなのか法律的な議論が行われても公式では楽しんでもらえればといいつつ、実は知名度を広めて貰う為にはちょうどいいシステムという立ち位置であるのも確かである。
いつの間にか参加型の動画で養分にされていた。そんな知識を持っている人はどこまでいるのだろうか?コメントもパブリックシステムになる事も多いし、今消費者としての声がいつの間にか道具として扱われている危機感を感じている。
また、誰に対しても胸を張れるようなことをしてるわけじゃない動画が増えているのも存在するようになってしまい(アングラな空気はニコ生の一部に移った)、結局商売以外で投稿している人は今や少ないのではないかな?と思う。
勿論世界に知れ渡っている分批判やアンチも多い。懐古だと思う人もいるかも知れないが、今のニコニコ動画は昔とは違う空気が流れているというのも理解して欲しい。
そんな自分は、拝金主義というものを感じたコンテンツはあまり関心を持てなくなってしまった。言わば下心丸見えで悲しいのだ。昔からそういう人はいるが、今は商売前提のコミュニテイが乱立している。mixiやtwitter。出会いを求めて探し回る人もいる。でも、そのつながりは昔近所や世間で培われていたのだ。
もっと回りをみてみると本当に楽しいものも多い。
そして、ただ単に僕は今の動画がCM以外の何者にも見えなくなったのかもしれない。
趣味といいながら公式では合間に宣伝を入れてくるのでは最早cmを見ているような世界観に追われていると思えるのだ。
だったら自分も始めてみればいい事なのではあるが。
未完成ゆえにユーザーのコメントがあり、完成する。今の作品は殆どが完成されてるからこそユーザーの感情は支援ではなく感想にしかなりえないのだ。