遊戯王の プレイングについてのお話です。
また、プレイングが存在しないと思う理由についてという投稿が問題となっていたので、その意見を色々と聞いて来た結果や元々『プレイング』って?という問題点について考えてみました。
「というわけで、今回は遊戯王だけではないプレイングについての話題ですね。
古今東西、カードゲームだけでは無くゲームをプレイするという意味合いで作られた言葉でもありますが、そのプレイングを私たちデュエリストが考えるのはごく普通の日常な気がします」
「そう言えば、プレイングの問題で色々とあったんですの?」
「うーんまぁそうですね。なんか荒れている話題だったので当事者に聞いたんですが、難しい点がありました。
というのも一部のサイトにて『プレイングが存在しない』という部分が大きく取りあげれてしまっているので・・・火消しじゃないですけど、基本的な部分から細かいところまでプレイングの概念について個人的に語ろうかなーと思ってたんです」
「あれ?思ってたんですの?」
「いやぁ、本当にプレイング云々を書こうとしたら結構被害を受けているらしく大変そうだったのでご意見を聞いてきたんです。
色々と難しかったというよりも理解するのが難しい言葉なのでは?という問題に至ったのでプレイングという言葉を1から考えて見ようと思います」
「そしてこの意見はかなり考察しないといけないので一時的な意見として置いておいてください。
私も理解しようとしてますので」
そもそもプレイングの定義って遊戯王ではあまり決まってなかった?
「そもそもプレイングってどんな定義なんですの?」
「うーん・・・それが見当たらないんですよ」
「無いんですの?」
「まず、プレイングという定義というか遊戯王に対しての『プレイング』とは何かって言う結論が無いんです。
プレイングという言葉は、結構あいまいな言葉です。
例えばWIKIでの総評ではカードを扱うこと。
転じてカードの使い方、使いどころなど戦術の駆け引きの熟練度自体を説いています。
つまり戦術において駆け引きとしての経験値を如何にして活用するかという事で書いてあるんですよね。故にプレイングを失敗してしまった事を熟練度によるものではない最適解ではない行為=「プレイング・ミス」という扱いとして言われているとあるんです」
「という事はプレイングってある程度の戦略を得た結果の行動という事ですの?」
「うーんそうなりますね。
MTGではプレイングという定義が判断を迫られた際にプレイヤーがとる選択や行動のことって書いてありますし正解に近いです。
要するに使い方が上手い人=プレイングが上手いって判断ですね。
ブラフや様々な行動を計算し予測する事で最適解を出す事がプレイヤーにとっての理想であり、夢でしょう。
そうする事で各種動き方に関しての理想論を立てる事が出来ます。この部分を人は『計算』と呼ぶ事もあれば『考える』という事もあるので、結構それで問題が出てきちゃうんですよね」
「でも、プレイングという規定がそれでは曖昧ですの」
「その通り。言葉でプレイングというものを語っても、一般的に規定していない事は大抵意見を発すると違う意見に聞こえる時があります。
それにこの言葉は一般的に存在しないので、『そもそもプレイングという概念や規定が定まっていない』ので、『自分なりの意見を問い』、それを主張する人を否定してはいないし『個人的な意見と解釈』を書けないと大変な事になってしまいます」
「で、その中で問題が起きたんですわよね」
「ですね。
そこで起きたのが『プレイングが存在しない』と思う理由という呟きです。とあるサイトにてそのまま転載し現在問題が起きているようでした」
プレイングが存在しないと思う理由について
— トキソラ@インスペクトヴェルズ (@sky_time_ygo) 2017年12月4日
端的に言えば、ある人が行った「プレイング」は理論上誰でもできるから、というのが理由になる。
WWを一例に出すと、グラス→アイスの流れでチェーンを組むのはカードプールを「知って」いれば誰にでもできること。
※リプに続く
「個人的には『全ては計算しつくされた問題であり、発現する差が勝敗を決するだけ』と書いてあるように見えますの」
「まぁそうなりますよね。ですが、この意見の続きにはこんな事が書かれています。つまりこの人はプレイングとは?という意見を「カードプールに対する知識」と説いているんです。
つまり、プレイングとしての意味合いをキチンと答えているんですよね」
だが世間には「プレイングは重要だ」という人が多くいる。それは何故か。自分としては、それはプレイングとは何かということを勘違いしているために生まれる意見であると思われる。
— トキソラ@インスペクトヴェルズ (@sky_time_ygo) 2017年12月4日
・プレイングとは何か?
「カードプールに対する知識」これに尽きると思われる。
「と言うように、実はこういう問題は結構荒れる話題になります。
まずプレイングという言葉は結構あいまいで、個人的な意見で結構分かれてしまうため。
プレイングが存在しないという解答に対しては『プレイングという言葉の説明・及びどういう意味がプレイングとして適切なのか。また、プレイングが存在しないという意味を誤解されないのか言葉選ぶ必要』もありますし、そもそも
プレイングの言葉の規定がありません。
恐らくプレイングは、計算できる事象だと捉えています。
手札誘発での妨害もいわば『何千枚というカードのカードの中から計算されたようなもので構成されているもの』として見ればその答えは結構正しいのかもしれません」
「それはある意味では凄い事ですわね」
「歩く三沢くんみたいなものですよ。あ、あの木の葉が落ちるのは計算で予測出来てれば・・・楽しい世界なんだろうなぁ」
「その発想で言えば、多分プレイングが無いが正解なんだと思います。
決められたカードプールにおいて独自性の発想は既に考案された知識の上に成り立っており、読み等についても『決められた事案』という発想で独立したものじゃないって言ってるんですよね」
「最終的な意見としては、『プレイングというデータによる最適解は既にあって、遊戯王プレイヤー自身が考えている思考も知識からの模倣』という事でその人とは解釈が一致しましたし。
独自性の発想や個人のプレイングというものは最終的にデータによる計算に帰結するというイメージですね。人の行動すらも計算できるものであって、それはさながら乾のデータテニスのように帰結するのかも!?っていうのがその人の答えなのでしょう」
「なるほどですの。
けどココまで荒れた理由はなんですの?」
「そりゃあ計算で勝負を決められていると言われたら怒るんじゃないですか?それに、一般的に行動が全て計算による帰結って解答されたら個人的意見の終着点がありますし、熟練度等を抜いても発想としてはカードゲームは作業になってしまいますからね。
この点って一種のデッキビルダー概念にあるナッツ・アンド・ボルトと似通ったもので、『プレイングを磨き、ミスを極力無くすことで他プレイヤーと差をつけること』という部分も計算出来ると言えるじゃないと成立しない意見です」
「あくまでもメモとしてなのですが、プレイングが存在しないという結論は、こういう結論なのだろうなぁと考えました。
難しい話でしたが、鋭角な発想では『計算できる事』という感じになるのだと思います。私はあの行為も心理学であり計算できるという気持ちはちょっと分かりますが、それを何処までその戦いに活かせるか分かりません」
返信いただきありがとうございます。
— ブロガーまい。@ぶらりネット&まいログ (@netrain999) 2017年12月5日
つまり、『プレイングというデータによる最適解は既にあって、遊戯王プレイヤー自身が考えている思考も知識からの模倣』という事でしょうか?
独自性の発想や個人のプレイングというものは最終的にデータによる計算に帰結するというイメージでしょうか
「つまり全ては確立での計算で出来た事象であるvs心理も踏まえた人としての行動やケアもある。計算じゃないという対立なのかもしれませんね」
「とか言いつつも個人的見解だけでは見え切れないものもありましたので、後半をまた書いてこようかなと思ってます。
その前にキチンと発言者さんの言葉と合うのかも見ないといけませんしね・・・」
ちょっと追記
「因みにこの記事は「その1」で区切らせて貰ってます。なので次はプレイング君の解釈での解答と、なぜ問題が起きたかを書いていきます。
因みにプレイング君自体に許可をいただいているので、今回は1人だけという事にしました。承諾済みで解決するのは私たち発信者の責任と思いますから・・・」